曽我兄弟 富士の夜襲
『曽我兄弟 富士の夜襲』(そがきょうだい ふじのやしゅう)は、1956年の日本映画。鎌倉時代初期の曾我兄弟の仇討ちを題材としている。東映製作・配給。スタンダードサイズ、イーストマンカラー(総天然色イーストマン・東映カラー)。昭和31年度芸術祭参加作品。本編111分。 曽我兄弟 富士の夜襲
[https://www.youtube.com/watch?v=u3cprT-n4cM]非公開
時は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝治世の頃。河津三郎祐泰は奸臣・工藤祐経の悪謀によって命を落とす。祐経による一家への圧迫と責苦のなか、祐泰の息子たち曾我十郎と五郎の兄弟は仇討の機を狙っていた。そして苦節十八年、二人は富士の嶺に狩りを行なう工藤陣屋に、折からの雷雨を突いて斬りこんでいく。 土曜日までの公開
観忘れた…teyoda7.icon
(38:25)この祐経の杯ゆえ受けられぬというか~
このセリフ口に出ているの始めて聞いた
弟に対して辛く当たる母
箱王が箱根で僧になるべく修行をしているかと思ったら工藤祐経を恨んで山を降りてたから
(54:00)ごろ 五郎泣いてる……(; ;)
(1:20:00)ごろ 従者の鬼王を里に返している
いよいよ討ち入りか……
雷雨
切った竹を盃に、兄弟が会話を交わしている
(兄、十郎)互いの顔の見納めじゃ。五郎、そちの顔をよく見せてくれ。
(弟、五郎)兄上のお顔も。
(兄)こうしてそちの顔を見ていると、亡き父上にお会いしているような気がするぞ。
(弟)兄上には、母上の面影があります。ひとしお母上のことが忍ばれます。
(兄)不覚じゃ。五郎。
(弟)兄上、参りましょう。
ここ名シーンだな……cFQ2f7LRuLYP.icon
兄弟が互いの顔に両親の面影を見る
十郎の方は父親が死んだ時に物心ついてて父の顔を覚えていた
1:34:30ごろ
1:41:00ごろ
ここ長台詞
頼朝体制から疎外された者としての反抗の意味をも与えるべく、頼朝の蜂起から鎌倉幕府樹立の過程と諸武士団の動向、その中で祐親が頼朝に与えた屈辱感と怨念、祐親の末路を画きこみ、祐経の栄達にふれる。そこには真名本(おそらく原態本)作者の歴史への確かな眼としたたかな構想力を窺うことができる。〈日本古典文学大辞典 簡約版〉p.1113
二十歳で仇討ちして死ぬのか……cFQ2f7LRuLYP.icon
(弟)在天の父上、兄上ご照覧あれ。今日こそ、今日こそ五郎が二十年の生涯に初めて迎えた幸せの日にございます。
そういうこと言うなよ~cFQ2f7LRuLYP.icon
父上、母上、御覧下さい。この五郎の晴れの姿を。母上。母上!